正月早々、もう日も暮れて寒さがつのるなか、外に子どものギャン泣き声が響いた。車も少ないし、そういえば南から横田基地へ入ってくる飛行機の数も少ないから、辺りは静かだったのでそれはそれは耳が痛かったのね。
…どうしたんだよ、なにがあったんだよ。おかーさんに怒られて玄関外に出されたのか、お姉ちゃんにいじめられたのか、だいぶ長い間泣いている。だんだん声がかすれてきた。それにしても長すぎるので、110番寸前まで緊張した。
やがて、ギャン泣き声は突然止んだ。…家の中に入れてもらえたのね、よかったよかった。正月のご近所静寂にはつらい調べだったのですよ。
そういえば、年末ラジオの「子ども電話相談室」への申し出。曰く、友だちが先生に怒られると、私も怒られているようで悲しくなります、とのこと。それについて先生の回答、それはね、あなたの感受性が強いからなのね、とってもいいことなのよ、これからもそのあなたらしさを大切にしてね、と。…そうかそうか、ギャン泣き声にドキドキしたおれも感受性が強かったのか、よかったよかった。
…ところで、「らしい」とはなんなのか?胸に手を当てて思いかえしてみれば、とことん「らしく」なかったのでありますね。それこそ、ものごころついたころから「子どもらしく」「学生らしく」「大人らしく」などとずっと言われ続けてきた気がする。が、それにいちいち反抗していたわけであったからして、とってもらしくなかったのである。
そうか、今にして分かったぞ、それはいわゆるアンチテーゼであったのだな。「個性的に生きよ、唯一となれ」とは、いちいちくんになることであったのだ。いちいち反抗せよ、と。尊い教えであるぞ。
平日の毎日やっていた「渡る世間は鬼ばかり・シーズン4」が観られないのはつらいよな。待ちどううしいぞ、はやくやってくれ。まさちゃんの煮込みが食いたいぞ、年末からずっと休業かよ、さっさと始めろよ。うるさい催促電話はどうしたのだ、とっととせがまないと、もう永遠にやらねーぞ、こら。
冬至を過ぎて、日の暮れるのが遅くなってきた。富士山あたりに沈む夕日が稜線を紅く染めて美しいではないか。これは例年らしい眺めだ。
節料理にも飽きたし、餅なんかとうぶん見たくもないよな。そろそろ日髙屋の味噌ラーメン大盛りが食いたくなるであろう。あいかわらずビールはうまいけどね。自然冷却ものは今年もおいしいぞ。これも例年らしい。
地震も起きず、火事にもならなくて、とっても穏やかな正月らしい日々だったのですね。平和な東京多摩地域ってことだ。海の向こうではあいかわらずドンパチ始まって平和ではないのにな。
トランプマンは賞もらいたかったんじゃないのか?もらえなかった腹いせか?らしいといえばらしいけどな。だけどな、いまや令和Japonのアイコンとなったさなえちゃんをこれ以上利用するなよな的だ。