古い「イベントNOTE」が出てきた。コンサートイベントやアルバイト斡旋についての顛末が混在として記されている。前にここに書いた「自由業の履歴書」時代初期のものだ。ライブコンサートの収支、アルバイト斡旋の詳細が記されている。事務所で、それらの責任を担った者が記録することになっていたノートだ。
どこもかしこも汚い殴り書きのページを繰っていたら、夏目漱石が二枚出てきた。どうやら、たっちゃんがそのページを書いて、自分の金をそのまま挟んでおいたのだろう。筆跡からそれが想像できた。金に不自由していただろうに、挟んだことを失念していたようである。
たっちゃんは、音響担当として派遣された市民会館の催事で居眠りしてしまい、大ホールに「君が代」を流すタイミングを逸してしまった。市長を始め、方々のお偉いさんら来賓大集結のイベントだったので大問題になった。
たっちゃんは金に困り、事務所のギターアンプを質入れした。中古市場価20万円相当品を質草にして3、4万円借りたのであろう。ところが、利息支払い期限を逃してしまい、そのアンプを流してしまった。
たっちゃんは市営住宅に住んでいて、その庭に不似合いのハーレーダビッドソンを買った。1970年代アメリカン・ニューシネマ文化に憧れていたのだ。しかし、そのハーレーをすぐに盗まれてしまった。たっちゃんはそれでもめげずに、また金を貯めて再度ハーレーを買った。がしかし、またまたそのハーレーもあっという間に盗まれてしまったのであった。
たっちゃんはベーシストだ。たっちゃんをBANDに誘ったとき、電話で話した。他のメンバー構成、演奏楽曲の内容、活動方針等について長い話になった。それについて真剣に、丁寧に聞き耳をたててくれたのである。そして、それでは早速ということで、当時の練習場所だったサウナ風呂の客席に誘ったのだ。するとこう言った、それまでの優しい丁寧なもの言いを一切変えることなく「実は、昨日お袋が亡くなったのです。これから通夜葬式があります。なので、しばらく待ってくれませんか」と。
たっちゃんが怒ったところを一度も見たことがない。兄弟がなく一人つ子だったからそうなのか、人付き合いに優しく、周りにはたくさんのミュージシャンが集った。
アイドルのバックバンドを一緒して、武道館で演奏したことがあった。夢であった武道館のステージに自らのバンドで出たわけではない複雑な思いではあったが、たっちゃんは不貞ることなく、いつも通りの顔をして楽屋で弁当をしっかり食べていた。
長い月日が経ったので、街で偶然会ったとしてもお互いに顔もわからないだろう。元気にしているだろうか。たっちゃんの指弾きで独特にまわるいベースフレーズが浮かぶ。