【渇望:喉が渇いて水を欲するように、なにかを強く、切実に望むという意】
前回コラムにつづいてテレビの話。子どものころテレビを観せてもらえなかった。理由は「バカになるから」というものであった。が、その甲斐もなくテレビを観ずに育っても充分なウスバカになった。しかし、もしかしたら実は効果があって、観ていたらもっとひどいドバカになっていたのかもしれない。
子どものころのわが家、テレビは午後7時半までのNHKニュースで全終了。それはもう徹底的なものであって、台風等災害時でも情報収集はラジオ放送からであった。それがずっとつづいていた。なので、学校では周りの話題についていけず、異端孤立化を余儀なくされていた。淋しい小中学生時代であったのだ。
変化が訪れたのは、4つ下の妹がものごころついたころ。百恵ちゃんの大大大ファンだった妹がテレビドラマ「赤い疑惑」観たさに、親父に猛反発したのだ。それこそ、泣いて騒いでの猛抗議だった。昭和ひとけた生まれ、殴る蹴るの暴力親父ではあったが、娘には手をあげたことはなく、結局は折れて一家そろって百恵ちゃんと友和さんドラマの観劇となったのであった。
しかし、おれ的には、その番組の真裏でやっていた「前略おふくろ様」を観たかったのだ。が、とてもそのようなことを主張できるような状況ではなかった。学校ではみながみな「うみちゃん」「さぶちゃん」などと盛り上がっているにもかかわらず。それほど妹の情熱的大騒ぎはすごかったのだ。裏番組録画機器などというものもない時代のこと。ひきつづきむなしい高校生時代であった。
その反動は大きく、世間にアーカイブ出版なる商品および録画再生機文化が生じると、一気にそれに乗った。VHSテープで全話を揃え、第二シリーズはDVDのBOXで全話分手に入れた。そしてその後、何回しも何回しも観続けての人生を歩んでいる。としおさんも半妻さんも、ひでさんもかすみちゃんも大好きだ。思いかえせば、間違いなく、本作品は与太バカのオツム形成の糧となっている。
第一シリーズVHSテープは、あまりの繰り返し再生からか部分的にノイジーになってしまい、全話DVDRにダビングした。そして、それを周りの関係者や、ひいては年の離れた後輩たちに半強制的に観させて、酒の肴にして盛り上がったりしているのだ。いまだに。
もし「前略おふくろ様クイズ」などというものがあったら、優勝とはいかないまでも、いい線突っ張れる自信があるほどだ。
それにしても、倉本聰さんの脚本はすばらしく、何度観ても新たな感慨があって観応え充分。やがて、氏の脚本作品総あさりとなっていったのである。
それでは、本作品をそれほどまでに渇望したのか?…いや、渇望とは違う。そのように切実なものなのではない。ただ単に、手に入らなかった時間を求め、それを手に入れて、幸福感に浸っているにすぎない。
渇望などとはまったく違うのだ。 つづく