楽器機材類が増えすぎてしまって、1Kアパートではもうどうしようもなくなってしまった。機材の隙間にやっと布団を敷いて寝る、というありさまなのだ。
そこで引っ越したのが、廃屋寸前の旧米軍ハウス。部屋数は5つもあってバスルームはデカい。さらに、庭に車を3台も並べて置けるのだから好都合。
大きめの地震や大雪でも積もれば、すぐにぺちゃんこになってしまってもおかしくないようなボロさ加減であったので賃料も安かった。とはいえ、その家賃を平気で数カ月も滞納してしまうのだから、貧乏人生活は手練れの域なのであった。
その様子を見にきた不動産仲介会社の兄さんが、芸事生活貧乏事情を理解してくれて、さまざまなアルバイトを斡旋してくれた。それは、空地の草取り、駐車場の白線引き、単身者の引っ越し、退去部屋の清掃、などなどであった。どれも、ロングタイプのハイエース所有がおおきな利点であったのだ。
中には、夜逃げされた部屋のかたつけ清掃などというものもあり、残された家電家具類を売却して小銭を稼いだりもしていたのである。
あるとき、やや重い内容のアパート部屋清掃案件があった。内容を詳細に話すと、手伝い相方のドラマーに拒否られる可能性が大きかったので、それは伏せた。
午前9時、約束の建物前に到着。鉄製外階段の2階玄関部分に制服警察官と市役所福祉課職員が立っている。挨拶も早々に部屋の鍵をわたされ、それではよろしく、と2名は去ったのであった。
「な、なんかあるんですか?」と不審がる相方。それには答えず、玄関先で線香をに火をつける。「な、なんで線香なんですか?」とビビりはじめる相方。手を合わせての合掌を強いられた相方は、観念してそれに従ったのである。孤独死の現場かたつけ、および清掃業務なのであった。
もちろん、すでに遺体は搬送後であったのだが、その亡くなった方、終の生活感がもろに残る部屋なので作業には覚悟が必要だった。なにも考えずに、ただ迅速に作業を終えるのだ、という覚悟である。無駄口など一切きかず、ただ淡々と作業する雰囲気を察し、相方も一所懸命やってくれた。
と、布団をかたつける段になったとき、枕の下に札束があるのを見た。顔を見合わせる相方とおれ。万札千券まぜこぜになってはいたものの、それはかなりの額と思われた。一切合切か、と。
「これはこのまま遺族に渡してもらおう」つい、そう言ってしまったのだ。通常ならそのまま懐、相方に特別手当、といった具合なのであったのだ。が、札束は、作業終了後、部屋の鍵とともにそのまま不動産会社の兄さんに渡した。
飲まず食わず、ブッ通しの作業であったので午後の早い時間に全行程をおえた。そして、相方と二人して近所の安食堂で何杯も酒を飲み続け、食堂のおばさんに嫌な顔で見られていたのであった。 つづく