#095.やりたいことはやった者勝ち

 高速をおりて一般道に入り右折車線へ跨いだら、左側に黒いカブリオレが止まった。乗っていたのは黒いサングラスの女、ウエーブの黒髪が肩にかかって、ルージュが真っ赤なのであった。
 おっ、やるねー、と思ってガン見状態に固まってしまったのだが、よく見ると彼女の胸部前にはハンドルがなかった。その車は、進行方向右側が助手席の欧州産カブリオレだったのである。
 運転席を見通すと、ハンドルを握っていたのはこれまたグラサンした若いあんちゃんなのである。視線を気にしたのかあんちゃんが首を回してこちらを見たので、気おくれ気味に視線を逸らせてしまった。
 やがて信号が青に変わり、右折車線で直進していくカブリオレの後ろ姿を見送ったが、感動すら覚えた。まったくもって画になっていたのだ。
 よく、「車をピカピカにしている奴の気が知れない。見ているこっちが恥ずかしくなってしまう」などというおっちゃんがいる。こういった発言は、概ねおれらの10こ上くらい、団塊の世代ド真ん中のひとたちに多い。「おれは、洗車なんか一度もしたことがない」などとも言う。
 でもそれは、余計なお世話というものではないか、と考えるのだがどうだろうか。ただ単に、育った世代文化の違い、ものの見方考え方の違いだと思うのだ。
 いい車にジョノカ乗せて走るという行為は、男として憧れの夢なのではないだろうか。運転免許取得して以来の永遠のテーマといっても過言ではない、と思う。そして、そうなればその車は、車種用途にもよるのだろうがピッカピカにしていたいではないか。まあ、最近の若者は車なんか所有しないのだろうが。
 ただそこには充分な慣れも必要で、それを運転する男側にも過不足ない前提が求められるのだ。自らドキドキものでは明らかに浮き上がって見えてしまうだろうし、そういう行為が似合うか否かの自身客観的判断力も必要だ。
 街中で911とかに遭遇して運転席に目をやると、運転しているのが明らかにジジイだったりすると痛々しく見えてしまう。それはね、子どものころからの夢を、子育て働き盛り現役中に叶えられなかった夢を、リタイヤ後に実現させているという点では尊敬に値する。いつまでも青年のこころを失わない、というところもいい。でもね、残念ながら痛いのだな。ある種むなしささえ感じてしまう。
 車販売店でアドバイスをくれる師匠に意見を聴いたら、「そんなことないですよ。年とっても、太鼓腹になっても白髪になってもいいじゃないですか。オシャレですよ」などと言う。そりゃね、師匠は車売るのが商売だし、高価な車の市場なんてジジイ世代独占状態だもんね、わかりますよ。
 しかしね、金の出どころがどうであれ、若いうちからジョノカ乗せて、涼しい顔していい車をピカピカにして乗る。それはある種、勝利だよな、と思うのだがどうだろう。なにもこれは、こと車に限らずだけどね。