ものごころついたころから親父に殴る蹴るで育てられたからか、かなり暴力的な性質になってしまったように思える。成長期に暴力に支配されていたので、暴力で支配してやろう、という深層心理にとらわれているのかもしれない。
その実ヘタレ級の臆病者のくせに、感情的になることを抑えられず、喧嘩っ早くなってしまうのだろう。しかし、喧嘩には弱く、以前にもここに書いたように、実戦となると生涯勝率は低くおおよそ2割8分台といったところだ。いい歳こいて、いつまでも困ったものである。
夕方、歩いていてズルッとなった。なにかを踏んづけたようなのだ。歩いていてそれが犬のクソであることが予想された。臭いがいつまでもついてきたからだ。アスファルトの歩道を歩いていたし、まさかそんなところでクソを垂れる人間はいないご時世だろうから、犬のものと判断した。
秋の日はつるべ落としで、街灯は点いているものの、油断も隙もあったものではないのであった。
そして、子どものころのことが蘇ってしまった。街中にまだ充分に未舗装道路が多かった時代、犬のクソは比較的多くそこらに落ちていたものだ。野良犬などというものも少なからず存在していた時代であったし、それを通学時に踏んづけてしまうのである。男女問わず、誰にでも往々にして起こる災難だった。
そうすると、靴に付着した臭いはいつまでもついて回り、それを察知した周囲の者らに「うんこ踏み」と罵られたのである。これはもう人生における最悪の汚名であり、是非にも避けなければならない、皆々に最も恐れられていた状況なのであった。
靴裏についた犬のクソを砂利や道草などに擦りつけ、なんとか除去に努めるのだが、心的衝撃は強く深くいつまでもとらわれの身になっていたものだ。「うんこ踏み」と罵られ、学校を休んだ女の子などもいた。
そんなことなど思い出し、鬱屈として帰宅したのだが、どうしても気持ちが悪かったので履いていたスニーカーは玄関前で脱いでそのまま廃棄処分とした。履き古した安物NIKEでよかった。一張羅だったら、どれほど衝撃を受けたか知れやしないのだ。
なので、怖いのは日暮れ時に酔っ払って近所など歩いている際である。犬のクソが恐ろしいのではない。ただリードで繋いだだけ、以外は手ぶらで犬を散歩させているあんちゃんやおっちゃんらに遭遇することなのだ。
酒の量にもよるのであろうが、それが度を越していた場合など、いつ「おいおめー、その犬がクソ垂れたらどうするつもりだ、あー?」と言ってしまうかわからない自分が怖いのだ。
暑さがやっと収まって、虫の音などに黄昏る季節だというのに、まったくもって困った状態なのである。犬の散歩、クソさせっ放しはやめてね。お願い。