今年のウグイスは鳴きかたが上手で、なんとCメロまで、3パターンのメロディー構成でうたっている。去年のやつとは大違いなのだ。去年の今ごろは、Aメロさえちゃんと鳴けないやつにだいぶ悩まされていた。朝早くにちゃんと鳴けないもので、気になって気になって目が覚めてしまっていたのだ。
今年のやつはうまい、とひとに話したら、もしかしたらそれは去年のウグイスが上手になったのではないか、と言われた。まさかそんな、とも思ったが調べてみた。すると、ウグイスの寿命は「条件さえよければ8年も」とのことなのである。そうすると今年のやつは、去年のやつである可能性もある、ということではないか。
ウグイスは、いわゆる「渡り」ではなく「地元」のやつであることは去年調べて知っていた。ということはさらに、去年のやつがうまくなったとの可能性が高まるではないか。…そうか、野郎ちゃんと成長してCメロまでうたえるようになったのか。感動的であった。
小泉米は、ついに古古古古米まできてしまった。古米は4ビート、古古米は8ビート、古古古米は3連系のシャッフルだ、とまできて笑えたのだが、まさか16ビートまでくるとは予想だにしなかった。油断していたぞ。
しかし、そんなもの備蓄ものがあるうちだけのことであって、古古古古16も尽きてしまったらお終いなのである。そうなったらどうするのであろうか。
でも現状対応としては、安価入手で助かるひとたちもいるのだから、小泉さんの手腕は評価できるのだ。現に、米が高騰し、さらに品薄となって困っている子ども食堂の運営者の話を聴いていたからだ。
そんななか、「あれは家畜のエサだ」などと言っている政治家が複数いる。そいつら皆、野党衆議院議員であった。同じようなことを、すでに古古米くらいのタイミングから言っていた。それでは、古古古、古古古古の立場はどうなるのか。
たしかに、小泉さんの施策は親父のときと同じでドラマティックなのはわかる。ときとして、それがやや大げさに一般国民受けしてしまう、との懸念があることも理解できる。自分より年下のくせに目立ちやがって、という嫉妬心もあることだろう。
けれど、安価に流通する米をありがたいと思う国民がいることは事実だ。家畜のエサだなどと言われていい気持ちがするわけはない。国民の税金で蓄えてあった米を、高騰不足の折に国民の食用として安価に放出するのだ。ひとびとが食料不足の憂き目から救われるのだ。なんの不思議があろう。
小澤一郎さんが「内閣不信任案を出せずしてどうして野党なのだ」的なことを怖そうな顔面で言っていた。もうこうなったら石破さんもとっとと衆議院を解散して衆参同日選挙に打って出るべきではないだろうか。その膨らんだ顔面で、睨みを利かせるときが来ているのだ。