三日酔い状態でホトホト疲れ果てた。もうなにも手につかない、といったところ。どこにも行きたくないし、人と話すのも面倒くさい。掃除片付けなんかやらないから部屋も荒れ放題なのだ。寒くも暑くもなくいい日和なのにもったいないよな的。でも、酒はますます飲んじゃうんだよな、困ったことに。
話が違うだろうということだけど、酒を飲んでの三日酔い状態ではないのだ。後輩に説教を垂れてその後遺症でのものなのですね。
これまで、ものごころついてからず~と説教されまくり人生であったのです。燕の巣を棒切れでつつき、女の子のスカートをめくり、先生の車にスプレーでいたずら書きし、授業をサボってパチンコ屋に入り浸り、車の重量税を滞納し、ライブ予定を平気でダブル・ブッキングし、ときにはストリート・ファイトで骨折し等々ほかにも数多、その都度関係の皆々様方にご指導いただいてきたのです。
人に説教されまくっても、垂れた経験などなかったのですよ。人に説教するといった立場にはなかったし、そもそもそんなタマではないのですね。
そりゃ、しょっちゅう怒ってましたよ。でもね、それは感情のおもむくままにそうしていただけであって、理路整然と言って聴かせるなどという行為とはまったくかけ離れた性質ものなのだったのですね、たぶんきっと。
しかし今回は、その後輩に、どうしても言って聴かせねばならない、言っておかなければならないとの必要に駆られてしまったのです。ですから、どう言って聴かせるか?どういう場所で、どういう順序で、なにを飲みながら?…酒を飲みながらは絶対にまずいな等々、その心づもりにひと月あまりも煩悶してしまったのでありました。
されまくって生きてきただけに、説教される側の気持ちは重々承知。基本的にうるさいし、面倒くさいし、はっきりいってとってもウザいのですよね。けれど、それをしないことには示しがつかない。言って含んで理解させなければならない。そのストーリーテイリングにかなりの時間を要したのでありました。夢なんか見たりしてね。
そして、それをしてわかったのが、説教を垂れるという行為はとにかく疲れる、疲れ果てるということであったのです。それを終えてマジ三日酔い状態なのですから。…そうか、親父お袋を始めとして、かつておれに説教してくれた方々はこんなに疲れることをしてくれていたのか、と。皆々様、ドッと疲れ果てていたのですね、よ~くわかりました。ここに、こころより感謝とお詫びを申し上げる次第であります。
その後輩への説教の締めくくりを「…考えてみればよ、おまえおれの息子みたいな年代だよな。だからよ、わかれよな。あれ、おまえ大谷くんと同い年?」とやや和ませようとしたら、違います、大谷はおれより一個下ですけど、とキレ気味に言い返されたのでありました。トホホ。