#060.自由業の履歴書⑨Qにやられてしまった

 あるとき、お兄いさんから「…おまえ、店やってみないか?」との誘いを受けた。「熱海の夜」のお兄いさんではない別のお兄いさん。その店をホームとして演奏活動しろよ、とのことなのである。ただ、それには注意が必要で、街にはその筋の者が多いから、それらの者とは付き合ってはならない、と。…し、しかし、お兄いさんもその筋の方なのでは、とも思えたのだが。
 そして、米軍基地の繁華街ド真ん中にライブハウスを開業した。さらに、その店の二階には運営事務所。家賃なし。お兄いさんは、いわゆるこわい顔面をしたパトロンなのであった。
 交差点に面した建物の窓なし壁面がもったいないので、壁一面を紙のポスターで埋めた。しかし、そんなのも雨でも降れば一巻の終わりで剥がれみすぼらしい状態になるのは必定。それでも、めげずに長脚立を立てては貼りなおしていた。
 それを見たお兄いさんが、いっそのこと画でも描け、というのである。
 周囲に画心のある者などいるはずもないので、それをリリー・フランくんに頼んだ。リリーくんは、寝袋持参で二階運営事務所に泊まり込んで壁画を描いてくれたのであった。まだまだ有名夜明け前のリリーくんであったので、その画の価値をわかる者などいるはずもなく、ただただ「へんてこな画」との噂ではあったものの、であった。
 あるとき、お兄いさんから「電話代金の桁がひとつ違う」との連絡があった。なので、二階運営事務所に出入りのある有象無象に問いただした。が、きっとそれはなにかの間違いであろう、とはっきりせずじまい。しかし、二か月がたち三か月がたった後、再度「おまえ、三か月で68万だぞ」との報を受けた。
 もともと、「電話代なんて月に1、2万だろう」ということで、お兄いさんがその料金ももってくれていたのである。しかし、それにしても月額約二十数万は異常である。なので、改めて有象無象を集め、事情聴取した。すると、その中の何人かが、当時まだ廃止前の「ダイヤルQ」サービスを頻繁に使っていたとの事実が判明。周囲の者らもその事実を承知していたようであったのだ。そやつらは「ダイヤルQ」をナンパのツールとしていたのだ、という。
 まだ確定前の使用料金を想定換算すると、それは100万円弱ということになる。そのような金額を弁済できるはずもなく、ため息交じりお兄いさんから「閉店宣告」を受けたのであった。開業から、たった2年足らずのこと。
 その店では、ロック系雑誌の取材を受けたこともあった。すぐ近所の洋食屋オムライスの味が忘れられない。スタンディングで50人満杯、といった小さな店ではあったが、おれらのホームであったのだ。…それら思い出はオツムの中であるが、その交差点に立てば、リリーくんの画はまだそのままなのである。
 リリーくん、どうもありがとう。♪リリーくんの画はおれらの青春そのもの。  
 おしまい