#054.自由業の履歴書③雨ふり駅前ロータリー大集合

 かろうじてアパートは借りられるようになった。6帖と台所の1Kは、楽器機材類で満杯。とはいえ、そこに雁首そろえる奴らは皆々貧乏暇あり。
 このままではまずい、ということでチラシを作成。コンビニで大量コピーして、近所の電柱に貼りまくった。「なんでもやります」と。
 そしてしばらくの後日、「最近、間違い電話が多いよな」「あ、おれも受けた」「…なんか、山田とか言ってるんだよな」となって気づいた。チラシに実名は気まずいから、ということで屋号を山田と記したのであった。
 まだ外国人労働者流入前の時代。それこそ、ありとあらゆる業種からの人材派遣要請が多くあった。通常バイト代に手数料を上乗せして要望に応えた。
 土木、石材、運送、荷役のガテン系が主で、週末には一日30名を派遣、などということもあった。だれを派遣したか?ということだが、そこはそこ、周りには貧乏暇あり者が多くいたのである。バイト代の支払いは、依頼側から集金して毎月末払い。
 ある月末、最寄りの駅前ロータリーをバイト代支払い場所に指定した。その日は、あいにくの雨ふりであった。ハイエースを運転し、後部座席に小分けした現金を持たせた者を乗せ、支払い現場へ赴いた。
 「今日は、やけに人が多いな」駅前のロータリーが、傘を差した人であふれかえっているのである。見たところ若い男ばかり。「学校行事でもあったんじゃねえか」行き交う人々、ロータリーに面したビルの窓からも、皆がその様子を眺めている。
 と、同乗者が「あっ、こいつら全員バイト代とりにきた奴らです」と気づいた。なんと、われわれが雇い派遣した奴らが傘を差し、駅前ロータリーを埋め尽くしていたのである。
 「引き返せ」とのことでロータリーから遠ざかった。…しかし、なにも違法薬物を密売するわけでもないのだし、気後れする必要などないのだ。この判断に30分程度を要した。そして、ロータリーからやや離れた場所に止まり、5名ずつ分散でハイエースまでを往復させたのであった。
 普段は寂れきった駅前ロータリー。一度に集結した人数最多記録を樹立したもの、と思われる。
 ただ、怖かったのは早朝依頼主からかかってくる電話であった。「ひとり足りねえぞ」などと。突然現場をスッポカす奴がいたのだ。そうすると、否が応でもすぐさま現場に急行、予定になかった労働につかなければならないのである。
 そして、いつの間にかその依頼主の常連となり、そのままその業種が本職になった者も何人かいた。
 1Kの家賃もちゃんと払えるようになったが、毎日が忙しく、もぐりの人材派遣業者がバンドやっている理不尽は否めないのであった。  つづく