芸事をやり続けていると、その貧乏話のネタに尽きることはない。方々の芸人がそのエピソードを語るから、それらおもしろ話の数々は周知だ。
芸人のスタート時は、基本「自由業者」が多いことであろう。芸事での収入が少なければ、アルバイトなどで凌がなければならない、といった事情も周知。
組織の役員待遇を兼ねたりせず、芸事をやめなければ、基本「自由業者」としてのライフスタイルからは逃れることができないのだ。
…などと堅苦しく言ってもしょうがない。要は、芸事を続けるには、いろんなアルバイトを経験することになる、ということだ。ただこれは、芸人に限らず、「自らの技能でサービスや成果物を提供することによって生活する」者らすべてに通ずる「業」といってもいいだろう。
「楽団をやるのだったら家を出ていけ」と親父に言われ、ハイエースにギターと身の周りの物だけを積み、友達が住む米軍ハウスに転がり込んでそれは始まった。ご飯を食べるには、米を買ってきてそれを研ぎ、炊飯器で炊かなければならないことを体で知った。金を払わなければ、電気もガスも水道も止まり、家賃を払わないと大家の親父が怒鳴り込んでくる、ということもわかった。
そこで、しかたなく始めたのが「古紙回収業」だった。元締めから借りたトラックで住宅街を一日流せば、なんとかご飯をたべられるようになった。
ある日、電気工事店の裏庭作業場を片付けて、古紙といっしょに銅線、アルミニウム線などを分別回収させてもらった。それらは、電気製品施工過程に出る切り端、ゴミである。すると、それら非鉄金属が思わぬ収入になった。半日仕事で、古紙回収一日分の4、5倍といったところだったのだ。その金で、電話機と留守番電話機を購入。すぐさま元締め組からは離脱。楽器車のハイエースで、行動半径を広げ、ちらしを自作し、非鉄金属が出そうな事業所に飛び込みで営業をかけた。「回収を兼ねて、仕事場作業場のかたつけ清掃を行います」的に。
これが、おもしろいようにヒットした。くる日もくる日も非鉄金属回収を兼ねた掃除屋業務。銅はあそこ、ニッケルはこっち、アルミはそっち、といった具合に引き取り業者にも目が利くようになった。すべて現金収入。その収入で、楽器類を次々と揃えていった。
ある大雪の日、常連になっていた電気工事会社の仕事場をかたつけていた。翌日の積雪を見越して、どうしてもその日のうちに清掃までを終わらせてほしい、とのリクエスト。作業代ははずむから、とのことであった。
だが、その日は夕方からバンドのリハーサルがあったのだ。しかし、電気工事会社のかたつけを優先した。その結果、リハーサルに穴をあけてしまったのだった。遅参した練習スタジオには、もうメンバーはいなかった。
雪が積もり、横滑りしながらの帰り道、ハイエースの中で考えた。…このままではバンド演奏が趣味のゴミ屋になってしまう、と。 つづく