たまに、軍畑駅前の売店が閉まっていることがあった。これはショック。行きの時間には確か開いていたよな、それなのにどうしてどうして?という感じ。自販機には缶ビールが格納されていないので、もうどうにもならない。
楽しみにしていたビールも飲めずに、小一時間も来ない青梅線上り電車をひとりボーっと待つのはあまりにも空しい。なので、そういうときは仕方なく上り方向に次の駅を目指して山中を歩いた。
青梅丘陵のハイキングコース、澄んだ水をたたえた小川が流れているのである。木々花々の薫りたたずまいに季節を習った。「ツキノワグマ目撃情報」の立て看板があり、充分注意せよ、とのこと。クマ鈴など持っていないので、ドッsoloで歌でもうたいながら歩くしかないのだ。
その昔、地場の武将が小田原北条氏に攻められた。近くの塚からは、当時の武具が出土したそうだ。軍畑の地名由来はそれにあるとのこと。苔むして、そろそろ朽ち果てそうな観光案内看板にそうあった。
行きかう人などほとんどいない山中。ポツんと一軒家、農作業のおばあさんなどに道を尋ね、迷いながらも次の駅にたどり着くのである。
師匠の死後、師匠の居室に持ち込んだ、おれの本や写真を引き取るように言われたので施設を訪ねた。
師匠の部屋は空っぽで、室内はきれいにクリーニングも済んでいた。まるで、この8年の記憶すら、その一切を消し去るようにさっぱりとしたものであった。
軍畑駅への帰路、二段坂を上って後ろを振り返った。帰るおれを見送ってくれる師匠の上半身が見えた気がした。
駅前の売店で、いつものように缶ビールを買ってベンチに座って飲んだ。そして、この8年間を想った。師匠に指導いただいた物事の輪郭を改めてつかもうとしたのだ。
しかし、驚いたことに、その教えの接ぎ穂すら浮かばないのである。享受さえできないのか。これは、やや衝撃的だった。
いったい、この8年は何であったのか?息せき切って師匠の居室を往復し、ここでこうして缶ビールを飲む。青く大きな空を眺め、鳥の声を聴いていた。ただそれだけだったのか?
あまりにも無為すぎて、ただただ自分のバカさ加減を知った。師匠の、とてもうれしそうな、このうえない笑顔が浮かぶ。無言で頷いているだけなのであった。
軍畑の地を歩くことも、二段坂を上り下りすることも、もう二度とないだろう。ビールの空き缶を4つも5つも売店のゴミ箱に捨てにいったら、いつものように「ありがとうございました」と笑顔で言われた。
こちらこそ、どうもありがとうございました、と頭を下げた。
おわり