#041.軍畑の師匠、上

 二段続きの坂を上って振り返ると、笑顔で見送ってくれる師匠の上半身だけが見えたのだった。ラクダのコブ状に続く二段連続坂の、一段目が師匠の下半身を隠したからだ。あれから8年も経ったのだ。軍畑の師匠が亡くなった。
 軍畑は「いくさばた」と読む。JR青梅線の終点は奥多摩駅で、その7つ前に軍畑駅がある。単線で無人駅の狭いホーム。線路のむこう北側には、すぐに切り立った山が迫っている。駅前南側には急峻な下り坂があり、その両脇にいきなり段々畑が広がって、のどかに長ねぎなどが植わっているのであった。
 もともとは近所に住まわれていた師匠が、80歳を過ぎて軍畑の施設に移られたのが8年前。だから月に一、二度、軍畑まで通うようになっていた。人生にかかわる、ありとあらゆる指南をいただいていた師匠であった。
 施設といっても、もうほとんどリゾート・マンション。東南角部屋ワンルームの大きな窓からは、奥多摩の山々と多摩川の流れを眺めることができた。
 24時間の介護サービス付き。予約さえすれば、いつでも入浴可。主治医、歯科医、床屋さんも通ってきてくれる。
 師匠は、たまの昼食に「ピザとコーラ」もしくは「ハンバーガーとコーラ」を所望するのであった。それを持参したおれは、師匠用の昼食御膳をいただくのだ。こんなにおいしいご飯を三食上げ膳据え膳ですか、いいですね的に。
 軍畑駅への帰路、二段坂を上り、さらに木々鬱蒼とした山中を上る。やがて現れる大きい橋、はるか眼下に多摩川が見える。国道411号線を横断し、車一台がやっと通れる狭さの、恐ろしい急坂を上って軍畑駅に到着。片道30分弱。
 もちろん車やバスでも通えたのだが、もっぱらこの軍畑駅までの道を歩いた。軍畑駅の真ん前に売店があって、そこに缶ビールが冷やされていたからだ。駅周辺および師匠の住まいまでには店舗など一切なし。この監禁状態が冷えたビールに最高だったのだ。春夏秋冬、息を切らせて軍畑駅までたどり着き、売店で缶ビールを何本も飲んだ。
 午後浅い時間帯の青梅線上り電車は4、50分に一本。その日賜わった師匠の指導を反芻し、鳥の声を聴きながら、高い空を見上げ缶ビールを飲むのにちょうどいいのであった。
 売店は、ほぼ同年代と思しき男性が営んでいるようであった。顔を合わせるのは、いつもこの男性ひとりだけ。
 売店の男性は、午後の早い時間にやってきては缶ビールを何本も飲むおれを、いったいどんな素性だと想像したであろうか。そんな話など一切せずとも、充分な顔見知りになっていたのだ。
 なにしろ月に一、二度、8年間もの付き合いであったのだから。
つづく