「秋は夕暮れ」と習いましたが、本当そのとおりです。夕日が稜線に沈むころの空模様がいい感じです。つがい鳥がねぐらに帰っていって、風や虫の音も優しく心地いいですよね。
だけど問題は、それより前の時間帯。西に傾く日が、長く部屋に差し込むのがいやらしく不快な季節でもありませんか?
そういえば、「西日だけが入るせまい部屋で暮らした」という唄がありましたよね。かつて、西窓と北窓しかない部屋に住んだことがありましたが、一年ちょっとしかもちませんでした。夏場の西日に激しい嫌悪を感じたからです。
「君にできることはボタン付けと掃除だ」とも歌っていましたが、飯はよ?と思いますね。まあ、掃除する分まだいいのですが。飯はつくらない、掃除もしない、では最悪です。とっとと破綻するわけです。
「どちらかが強い気持ちでいたら愛は続いていたのか」と言っています。続いたか、または続かなかったか、と煩悶しているようです。答えはNOでしょうね、続かなかったということです。やはり、飯をつくらない、もしくはつくれないのは致命的と思われます。
飯は重要な要素ですよね。これが、ドッSOLOひとり暮らしだったら何食ったって不平は出ないです。ふたり暮らし、ましてやそれが男女の場合は、大いに問題になりますよ。相手のせいにしますからね。
逆に、日々の飯がうまいと、多少のブスでもブ男でも愛は続く可能性があります。情が湧くわけです。生活にリズムが生れますからね。
ただし、飯の味わいは単に「味」だけに限りません。どんなに美味な飯でも、同じ食卓に座る相手がいつも不機嫌だったりしたら台無しでしょ?「うまい飯は、何を食うかではなくて、誰と食うかだ」などという格言があるくらいですからね。「どのように食うか」が重要ポイントとして垣間見られるわけです。
あたしは、ご飯つくるの上手なんだから、なんて文句言いたげに性格の悪い女いるでしょ?最悪なんですよ、そういうの。まずい飯の権化。
「リンゴかじりながら語り明かした」とも言っています。それはね、うつくしい、花でも咲きそうな愛の唄ですから成立するわけです。
たしかに、金がなくて二、三日トーストにマヨネーズ塗って、そこに粗挽き黒胡椒かけて過ごしたことあります。けっこうおいしいんですよ、これが。忘れられない味です。でもね、それは、たまたまそういうときがあった、という思い出なわけです。そんなもん一週間も二週間も続けられることじゃないですよね。だいいち、炭水化物ばっかり食ってたら、クソが出なくなりますって。
結婚式の祝辞に「相手の胃袋をつかめ」ってのがあるでしょ?真理ですよね。飯の問題は大問題ですよ、たぶんきっと。