殊勝なことに、墓所に花をたむけました。
花屋で季節の花々を買って、墓所の花差しにゲージツ的に飾ったのね。でも、線香はあげない。だって、線香くさいんだもん。
翌日、その見事な飾りっぷりを見たくなり、墓所におもむきました。すると、前日に飾ったはずの花が、まるごと全部なくなっているのです。
なんで?どーして?…あんなにゲージツ的に飾ったのに。ショックでした。
ショックがやがてくやしさに変わったので、そのまま花屋に直行。ふたたび花を買って墓所に戻り、さらにゲージツ的にたむけたのでした。
花屋が包んでくれた透明パラフィンを墓所のゴミ箱に捨てに行くと、そのごみ捨て場の手前墓所に、見覚えのある花がたむけられています。きのうおれがたむけた花に似ている。…ま、まさか、花が移動したのか?そ、そんな。
AIだとか車の自動運転だとか言われている令和の昨今、そんな怪奇現象などあるわけがないでしょ?でもね、車が自動運転で走るんだから、花だって自動に移動するのかもしれませんよ。
それから数日後、みたび墓所におもむくと、なんと、またまたさらにゲージツ的にたむけた花がまるごとなくなっているのです。
そこで、ゴミ捨て場に行ってみました。すると、あのゴミ捨て場手前墓所に、まさに数日前おれがたむけた花が移動しているではありませんか。いや、そんなことは起こるわけがない、ただの思い込みだと冷静になり花屋に直行。
今度は、花葉の裏側に油性ペンで日付を小さく記し、それを携帯電話の写真に撮っておきました。
そしてさらに先日、墓所におもむくと、やはり花はまるごとなくなっており、ゴミ捨て場手前の墓所に移動していたのです。その花葉の裏側には、おれが記した油性ペンの日付も記されています。明らかに移動している。呪われている。前回のこの項で呪いについてのコラム掲載したからか?四半世紀も経て、呪いを呼び起こしてしまったのか?
恐ろしいことになってしまいました。そこで、おれは寺屋の庫裏に行き、寺屋のオカアに一部始終を報告。面倒くさそうな顔面をしたオカアを連れ出し、現場検証させたのです。もちろん、携帯写真を見せながら。
オカアは、こういった呪いには慣れているようで、「住職に伝えます」とだけ言いました。禅寺屋のオカア、いつも布施の金額とかド直球で言うしっかりもののオカアです。
その後、花が移動することはなくなりました。きっと、住職が念仏で呪いを解いたのだと思われます。
いい歳こいて、怖い体験をしてしまったものです。