久しぶりに甥に会って酒をのんだ。
かわいい小僧だった甥も30歳になったという。こどものころからの夢だったゲーム制作SEとして働いているのだが、まだ独身で気軽なものだ。
しかし、伯父の30歳のころなど徹底的に青春的でRock’n Rollが止まらなかったのだから、ひとのことなど言えない。
そして、甥にとっての祖父母、おれの両親が縁もゆかりもない米軍基地の街に上京したのがちょうど30歳だったことに話が及び、ふたりでため息をついた。
今から半世紀余り前、まだよちよち歩きだったおれの手を引き、産まれたばかりの妹を背負ったお袋は山梨県塩山市から基地の街へ電車移動で上京した。
2月の大雪の日で、建物などない基地の街駅前は積雪で見渡す限り真っ白だった。お袋は紙に書いた地図でも持っていたであろうが、とにかく周囲が真っ白なので、目印の電柱やら柳の木などをたどるのに難儀した。
道だか畑だか空地だかわからない真っ白な中を歩いて、やっとのことで米軍ハウス群の中に建つ二軒長屋にたどり着いたのであった。
親父は、引っ越し荷物満載トラックで国道20号線を移動した。まだ中央高速道などなかったころ、大雪の大垂水峠をよく超えたものだ。
翌日お袋は、おれの手を引き妹を背負って食料品を買いにでかけた。二軒長屋がある駅東側には当時まだ商店などなく、駅の西側まで歩かなければならなかった。
おれは、お袋に持たされた蜜柑の皮を剥きながら歩かされ、真っ白な道のそこここに皮を落とすよう言いつかった。買いものの帰り道に迷わぬよう、目印にしたのである。
二棟あった二軒長屋内には上水設備がなかった。敷地中東部に共同井戸があり、生活用水はすべてこの井戸水を使っていた。山梨県塩山市には上水設備があったとのことなので、大昔にもどった感覚であったことだろう。
おれは、この二日間のいくつかのシーンをはっきりと記憶している。積雪に見渡す限り真っ白な景色もあっただろうが、30歳、まだまだ若い両親の緊張感も伝わってのことだと思われる。
雪解けの春先、二軒長屋の庭に立つ寝ぐせ髪小僧と乳母車に乗る幼児の写真が残っている。小僧も幼児も笑顔だ。そこには親父もお袋も写っていないので、どちらかが撮ったものだ。