米軍基地の街で育った。
うちは二軒長屋で、周囲を米軍ハウスに囲まれていた。うちの庭には親父のスバル360が止まっていたが、ハウスの庭には尻に羽が生えたようなデカいアメ車が止まっていた。アメリカ人が家に土足のまま出入りするということにも驚いたものだ。
うちの前のハウスには同い年のスージー一家が住んでいて、おれの妹と同い年のベアリーがいた。
ハウスを囲うフェンス越しに、親父とスージーのパパさんが身振り手振りで仲良くなった。バドワイザーのお返しに親父が升酒を何杯も飲ませ、パパさんが腰を抜かしたりしていた。
スージーはブロンド髪が肩まであって、まん丸な緑色の瞳、米軍基地のジュニアハイスクールに通っていた。
二軒長屋の穴掘りドッポン便所に恐れをなしたベアリーは来なくなったけれど、スージーはよくうちに来ていた。お袋に教わって箸を上手につかい、煮物も焼き魚も食べていた。
言葉なんかまったく通じなかったのに、おれといっしょにヒノキ風呂に入って、おれのパジャマを着て手をつないで眠った。パジャマズボンの股間前部分に、ボタン開閉窓があることを朝目が覚めてからもキャッキャ喜んでいた。
あるとき、スージーの家でお昼ご飯を食べることがあって、広い台所のテーブルに座らされた。ラジオがしゃがれ声の気だるい曲を歌っていた。たぶんそれはFENだったのだろう。
ママさんが薪ストーブのような黒い箱から出して食べさせてくれたのはお好み焼きだった。
できたてのお好み焼きはまだ表面がブツブツいっており、二軒長屋のそれとは違い、上の具の色が赤や青や黄色に鮮やかだった。食べると何か薬のようなふしぎな味がしたものだ。
二軒長屋に帰って親父にその話をしたら、「それはピザパイという食いもんだ」と教えてくれた。
スージー一家との付き合いは続いて、数年後に一家が引っ越した入間ジョンソン基地のハウスを訪ねたことがあった。
背が伸びて大人びたスージーは、おれのことなどにはまったく目もくれず、すっかり外人の美人お姉さんになっていたのだった。
ジョンソン基地の広い芝生の庭が、雨上がりにキラキラ輝いていた。